婚活キーワード。
私を婚活へと駆り立てた言葉がある。
30過ぎても、
友達が全員結婚しても、
全く火がつかなかった私の本能を直接刺激した言葉。
学生時代の同級生が今年中に結婚するという話を聞いたときも、私の気持ちは彼女に対する祝福しかなかった。
でも彼女が結婚のいきさつを話し始めたとき、
聞き捨てならない四文字熟語が耳に入ってきた。
「高齢出産」
4月生まれの彼女は34、今すぐ妊娠してもすでに高齢出産だと。
そもそも私は結婚願望同様、出産願望も全くなかった。
子どもを持ちたい願望はあるけど、自分のDNAにこだわりがない。
世の中には両親がいない子が無数に存在するから、養子制度がある。
パートナーが同意するならそういう選択もあり。
逆に、絶対に出産したくないというこだわりもない。
パートナーとの相談次第で、自分たちの子どもを持つこともあり。
「高齢出産」という言葉が私にとってショッキングなのは、
その考えが出産の可能性がふんだんにある状況でしか成立しないことを突きつけてくるから。
高齢でも出産できればいい。
自分の年齢と妊娠&出産可能性の関連を認識した上で現状維持するのはいい。
でも私はそうじゃない。
学生をしていて、そんな現実とは無関係に生活している。
それに気づいたことがショックだった。
結果として出産しないとしても、自分で選択して産まないことと、産む可能性をみすみす逃すことの間には大きなギャップがありそうだから。
現状維持=いつかどこかで自然とパートナーにめぐり合うのを待つ=加齢と共に出産の可能性を低めている
という認識をちゃんともっていなかった。
自然な出会いで結ばれずに意思をもってパートナーを求めることは、もてない自分を認めることのような気がして、「婚活」に乗り気じゃなかった私。
しょーもない思い込みにこだわって現状を維持するか、
自分の可能性を探るか。
答えは簡単に出た。
今はもう、最終的に結婚や出産ができるかどうかはわりとどうでもいい境地に来た。
結果は重要だけど、結果だけが重要なわけじゃない。
たとえば、婚活前の私が何かの拍子で誰かと結婚していても、独身以上に今がしあわせかどうかわからない。
(というか、望んで独身の今の方が幸せにきまってると思う)
この先、
結婚できなくても出産の選択肢が消えても、
やること全部やった結果なら受け入れられる。
独身でいるしかないなら、それでいい。
でも、自分の本心が知りたい。
どんなパートナーを望むのか?
結婚したいのか?
出産できればしたいのか?
「婚活」への照れやヘンな見栄でそこから目をそらしたまま、
中途半端な"いつかだれか"の妄想にこれからの時間を浪費したくない。
私にとっての「婚活」は、
- 意味のないこだわりを捨てること
- ほしいものをほしがるチャンスを自分に与えること
つまり、素の自分で素直に生きるということ。
それがどんなに難しいことか、
曲がりくねった男性観&こんがらがった自意識との戦いともいえる…
まー究極は、生殖機能があるうちに生殖活動をしようとする、生物としてごく自然で基本的な行動にちがいない。
初産で高齢出産をまぬがれるためには、
2015年1月までには妊娠しなければ!
てことは、それまでに結婚しないと!
ならば、いつまでに出会ってどんな段取りが必要なの⁈
もーだいぶ無理っぽいじゃーん…
とはいえ、可能性はまだゼロじゃないなんて思ってるあたりがムボー(*^^*)
平気、ムボーなら慣れてる。
どんなに無理に思えても、半年後になるまで実際はわからない。
そしてなにがなんでもとは思ってない。
めどです、めど。